中森明菜さんの代表曲として数えられる『難破船』
そんな『難破船』ですが、1987年9月30日に19枚目のシングルとして発売。
初登場は1位となり、19週連続で売れ筋ランキングのTOP100をキープするなど中森明菜さんにとっても重要な曲となっているようです。
そんな『難破船』ですが、1989年4月によみうりランドで歌われた際に涙を流す姿が。
今回は中森明菜さんが難破船を歌い、涙ぐむ理由を当時の出来事を振り返りながら紹介していきます。
【1989年4月】AKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversaryの映像
コチラは1989年4月に行われた中森明菜さんの伝説のライブ。
AKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversary
その中で中森明菜さんはこれまでヒットした名曲を歌い、ファンを歓喜させています。
そして、中でも話題が沸騰したと言われているのが、難破船を歌ったときの出来事。
中森明菜さんは曲の間奏で涙ぐんでおり、その姿をみたファンはココロを痛めたといいます。
では一体なぜ中森明菜さんは難破船を歌ったときに涙ぐんだのでしょうか。
なぜ?中森明菜が難破船を歌った際に涙ぐむ理由は3つ
難破船を歌い、涙ぐむ姿を見せたのは1989年4月となります。
その当時の中森明菜さんは私生活の部分でも仕事の部分でも色々な苦労をしているんです。
- 1989年2月:恋人だった近藤真彦さんのキス疑惑
- 1988年:母親にガンが見つかる
- 1989年付近:家族との間で亀裂が生まれ始める
それぞれ確認をしていきましょう。
①恋人だった近藤真彦さんのキス疑惑
中森明菜さんは1985年に『愛旅立ち』で共演した近藤真彦さんと交際をスタート。
中森明菜さんは麻布十番に住んでいたようですが、ソチラを出て近藤真彦さんの自宅へ。
半同棲生活がスタートしたようで、中森明菜さんは本気で結婚も考えていたようです。
ただ、1989年2月にニューヨークで近藤真彦さんは松田聖子さんとキス疑惑があるとの報道が流れています。
当時、中森明菜さんは近藤真彦さんに対して数千万円のお金を貸していたコト。
そんな近藤真彦さんが当時ライバルと言われていた松田聖子さんとキスをしたと報じられ、中森明菜さんは信用していた人に裏切られたショックが大きかったのでしょう。
そのため、”近藤真彦さんと自身の関係性”と”難破船の歌詞”がマッチして涙ぐんだのかもしれませんね。
②母親にガンが見つかる
中森明菜さんは母親が大好きで、実際に歌手を目指したのも母親がキッカケと言われています。
仕事についても相談をしていたようで、母親の存在は中森明菜さんにとって大きなものだったのは間違いありません。
そんな母親ですが、1988年にガンが発見されており、中森明菜さんはココロを痛めていたと言われています。
③家族との間で亀裂が生まれ始める
3つ目は中森明菜さんと家族との間に亀裂が生まれ始めたというコトです。
明菜は、僕たちが彼女のお金を使い込んだと思っているんです。当時所属していた事務所の『研音』から税金対策で“お店を始めたらどうですか”と助言をいただいたんです。それでカラオケスナックを経営していましたが、明菜は私たちの給料に自分のお金が流れていると思っていた
引用:週刊女性プライム
コチラは中森明菜さんのお兄さんが週刊女性に語ったコメントとなります。
中森明菜さんは稼いだお金を家族が使い込んでいると言われており、そうしたなかで家族すらも信用できなくなったと言われていますね。
実際に真相はわかりませんが、信用していた恋人や家族。
そして、大好きな母親のガン発見など、色々と重なった結果、難破船の歌詞が中森明菜さんのココロに刺さり。
涙を流してしまったのかもしれませんね。
まとめ
今回の記事では1989年4月に行われた伝説のライブ『AKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversary』
そのライブで難破船を歌い、涙ぐんだ中森明菜さんについて紹介していきました。
涙ぐむ理由は当時マッチとの間に起こったコトを思い出したことが関係しているのかもしれませんね。
コメント